ブランド洋食器 KPMベルリン

KPMベルリンは手書きによる製作

フリードリヒ自ら製作に乗り出した王立磁器製陶所

KPMベルリンの歴史

KPMベルリンやベルリン王立磁器製陶所と呼ばれますが、独名:Koenigliche Porzellan Manufakturといい、その頭文字をとってKPMと略されています。
1763年9月19日、プロイセン王国であったフリードリヒ大王によって創業されました。そのためKPMベルリンの歴史を探るには、まずフリードリヒ大王にフォーカスする必要があります。

無二のコーヒー好きだったフリードリヒ大王

フリードリヒ大王ことフリードリヒ2世は、芸術性にあふれ、また先見の明にすぐれた君主でした。君主こそ道徳においても国民の手本となるべきとの考えから、啓蒙思想(近代化)を貫いた人物としても知られています。

フルートなど音楽的芸術をこよなく愛し、自ら演奏会を主催した事で知られていますが、『反マキャヴェリ論』を記した作家でもあり、そして無二の愛犬家としての一面も持っていました。国民や兵士とのふれあいも行い、国民からの絶大な人気を誇るフリードリヒ2世は、大のコーヒー好きでもありました。

フリードリヒ2世がKPMを創設した1763年は、7年戦争の終戦した年でもあります。

元は民間企業だったKPM

KPMですが、そもそもの創設は1751年でした。創設者はウィルヘルム・カスパー・ウェゲリー。彼は無料でベルリンに工場を建て、かつ、製造材料やその他の関税を撤廃するよう王に依頼しました。フリードリヒ2世はこの要求に応じる代わりに、情報を漏えいさせない事を条件とし、ウェゲリーはこれを承諾しました。しかし1757年には産業スパイを防ぐことができずに倒産してしまいました。その経営を引き継いだのがゴッコフスキーでした。ゴッコフスキーはシルクメーカーと古美術を扱う商人でした。1961年に経営権を掌握したゴッコフスキーでしたが、7年戦争による影響から最大の取引先であった国の財政は厳しく、7年戦争の終戦と時同じくし、倒産してしまいました。

経営者となったフリードリヒ2世

1763年、倒産したため行き場の無くなった工房関係者の救済に乗り出したのがフリードリヒ2世でした。工場を買い取り、146人の陶工の雇用を保障したフリードリヒ2世はこの瞬間から経営者となりました。この時からバックスタンプには王の使う杖である王笏(おうしゃく)がシンボルとして用いられ、これは今日まで使われ続けています。
フリードリヒ2世は先述のとおり、道徳の面でも国民の手本となる事を基本に考えていたため、工房の経営は他の経営者のモデルとなりました。
・児童労働者の禁止
・平均以上の給与
・安定した年金制度
・孤児や未亡人の支援
・医療基金制度
などを工房経営に取り入れた事でも知られています。

KPMベルリンを経営する立場となったフリードリヒ2世は、磁器と国政を別々に考える必要が無くなったため、外交の贈り物をすぐに用意することができ、また彼自身も自由にオーダーすることができました。フリードリヒ大王は死ぬまでの間に、450ピース21セットのディナーサービスを王自らが発注したそうです。

繁栄を遂げる工房

フリードリヒ大王亡きあとも、工房は技術革新を怠ることなく、また設備投資も続けていたのでその後大きく繁栄しました。新色の開発、新窯の設置、国で初めて蒸気機関を採用したのも実はKPMでした。ナポレオンによるベルリン包囲から苦境に立たされた事もありましたが、1855年には工房もスタイリッシュなショップへとリニューアルされました。1873年にはKPMは移転され、新たな場所で製造をはじめ、さらに飛躍を遂げていきます。
20世紀に入っても順調に発展していたKPMに悲劇が訪れたのは1943年、第二次世界大戦でした。空襲によりすべてが無くなってしまったのです。

再出発、そして・・・

KPMは1957年に再スタートを切りました。一度途切れた歴史にも動じず、技術開発とこだわりを守り抜き、今もなお手作り手書きで名品を生み出し続けています。伝統的なデザインを踏襲しつつ、あらたな作品を生み出し続けるKPMは2013年、創業250周年の節目を迎えたのです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする