西洋における磁器の誕生

西洋磁器にまつわる王様と1人の若者のお話。

西洋磁器の始まりの色。マイセンベドガ-せっ器

西洋磁器の始まりの色。
※画像はユーロクラシクス様より参照

洋食器における始まりは、この1つの”茶色い色”から始まりました。300年も昔、それは王様と1人の若者によって誕生した物語です。

その前に、300年前の状況について、少し簡単にお伝えさせていただきます。

1700年頃、日本では江戸時代のお話です。ちょうど鎖国の頃、日本では出島だけが外国との窓口になっていました。日本は海外をとても怖がっていましたので、できれば中国だけ取引相手にしたかったのですが、海外の圧力が強く、仕方なくオランダとだけビジネスをしようという事になりました。このビジネス相手というのは、オランダ東インド会社(東インド貿易会社)と呼ばれる会社でした。

東インド会社は多くの積み荷を運んでいましたが、その中でも特に高価とされていたのが、伊万里焼(現在の有田焼)でした。この時はまだ船旅はとても不安定で、命がけの航海でしたし、その航海期間は非常に長く、当然その取引によって持ち込まれる調度品は王室や貴族のみが手にする事ができるものとなりました。

西洋の人々は、日本の美、とくに家具や工芸品が非常に好みました。そのため東インド会社への依頼が殺到。多くの伊万里焼が海を渡る事になったのです。

しかし、昔の西洋は日本や中国で作られていたこの白い磁器が作れませんでした。それどころか作り方さえまったく分からない状態でした。

磁器は魔法で作られる

一部の人は、魔法によって作られると信じていましたし、金と同じかそれ以上の価値だった磁器を「白い金」とさえ呼ぶ者も表れました。
これは当時、錬金術師という詐欺まがいな行為が横行していた事が原因となっていると考えられます。17世紀はまだ今のように化学が発達していませんでした。たとえば、石の色が変わる、蒸気が出る、個体が消えるといった簡単な化学反応を、あたかも魔術や魔法によるものと称し、それが通用していました。特に問題となったのは金貨の偽造で、これが国家を脅かしたため、錬金術師は犯罪となったのです。

ベドガ-も錬金術師だった

このお話の登場人物ベドガ-もそんな錬金術師でした。彼は運が悪かったのかもしれません。捕まった当時の磁器は、先ほど述べたように、未だに魔法によって生まれるという説があり、一方で金より高い価値があったため、国家はこれをどうにか自分たちで作れないかと考えている矢先でした。

捕まってしまったベドガ-は、アウグスト強健王に運命の2択を迫られます。錬金術師の罪で罰せられるか、磁器を作るか。ベドガ-に選ぶ余地はありません。これがベドガ-の物語の始まりです。

1からのスタート。幽閉生活で失敗の連続

錬金術師と言っても、少しの化学の知識しか無かったベドガ-には試行錯誤の連続が待っていました。ただ、彼にとって幸運だったのは、先人の知恵があった事です。いえ、もしかするとその先人が磁器を生み出すはずだったのかもしれません。その先人の名はチルンハウス。彼はベドガ-と磁器の研究を共にした人物で、ベドガ-に出会う30年以上前から磁器製造に取り組んでいました。
チルンハウスはアウグスト強王に、磁器工房設立をもちかけますが、アウグスト教王はそれを受けず、ベドガ-の実験に協力するよう指示を出しました。そして1705年、本格的な実験が始まりました。

しかし、当然国家事業である磁器製造を公にすることはできず、彼らは幽閉生活を強いられる事になってしまいました。

ついに見つけた、まるで磁器のような輝き

1706年、ついにいくつもの実験の中から、磁器の可能性が見えたのです。艶のあるその磁器は、真っ白ではなく、赤褐色でした。これはベドガ-せっ器と呼ばれる磁器と陶器の中間に位置するものでしたが、これによりカオリンが重要であるという結果がわかり、後はカオリンを産出するだけでした。

そしてついに、1709年ドレスデン地方でこのカオリン地質を発見し、白磁が完成しました。これが西洋で最初の磁器誕生の瞬間です。その誕生の瞬間を、チルンハウスは見ることなくこの世を去っています。そのため、磁器を最初に作った人物としてベドガ-の名前だけが語り継がれているのです。

完成後も続く幽閉生活、さらに続く王からの指令

磁器製造に成功したその噂は、瞬く間に全国を駆け巡ります。なぜなら、同時期各国が競い合って磁器製造に取り組んでいたからです。
真っ先に成功させたベドガ-らに、誘いの手が及ぶ事は十分考えられました。そのため、より徹底した監視の元で製造が行われる事になりました。
1710年にマイセン窯が誕生しましたが、当時は情報漏洩を恐れて、仕事は完全に分担されており、職人たちは他の職人の作業内容さえ分からない状態で仕事をさせられていたのです。

そしてベドガ-に課せられた次の使命は、東洋磁器の完璧な模倣、つまり、絵付けでした。
これには長い歳月が必要となり、絵付け技術が完成したのは1717年になってのことでした。また、東洋磁器の完璧な模倣ができたのは、さらに数年後の1720年であるとされています。

情報漏えい、そして・・・

完璧なはずだった情報は、隣国オーストリアに漏れていました。オーストリアの宮廷吏官だったデュパキエにより、複数の職人が引きぬかれてしまったのです。それぞれの分野しか知るはずのなかった情報もすべて漏れており、マイセンの努力もむなしく1718年、西洋二番目の磁器工房がウィーンに誕生する事になってしまいました。
長年の幽閉生活から、ベドガ-は酒浸りの生活になっていましたが、情報漏えいのストレスも重荷となったのか、1719年、西洋初の功績を残したベドガ-は、残念ながらこの世を去ってしまったのです。

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