AUGARTEN オーストリアを代表する名窯アウガルテン

https://www.augarten.com/de/ より参照

新たな西洋磁器窯誕生とマイセンとの関係

アウガルテンは、西洋磁器を語る上でとても重要な位置づけにあります。

西洋食器で最も有名といえるマイセンが誕生したのは1708年。300年前にはまだ白く美しい磁器は魔法の類で生み出されるものと考えられていたため、アウグスト2世は錬金術師ベトガーを監禁し、その製作に当たらせていました。

当時は白磁の価値が極めて高く、貿易の柱となる国家の一大プロジェクトでした。

デュ・パキエはオランダ出身の帝国軍人でしたが、この時期密かにマイセンの職人と交流をすすめ、マイセンが磁器を誕生させたわずか10年後、オーストリアにおいて、西洋で2つ目の硬質磁器窯を誕生させることに成功しました。

その後、マイセンから職人を引き抜くなど磁器窯としての繁栄を目指しますが、経費の圧迫によって経営は困窮することとなります。

ウィーン窯はなぜマリアテレジアの支援を受けられたのか

ウィーン窯はデュ・パキエによって創られましたが、その経営の許可を出した人物はカール6世でした。

カール6世の許可を得て経営を続けたウィーン窯は、前述のとおり経営が苦しく、デュ・パキエはハプスブルク家に対して工房の買い取りを打診することになります。

1744年、ハプスブルク家の君主は女帝マリアテレジア。彼女はカール6世の娘にあたります。父であるカール6世の思いを汲んだのではないか、と考える方もいるようです。

ハプスブルク家の紋章を使えるようになったのも、皇室直営窯となったことが契機となりました。

ウィーン窯の歴史は一度途絶えてしまうが…

皇室直営となったウィーン窯は、ハプスブルク家や周辺諸侯に重宝され、繁栄を極めます。マリアテレジアはもちろん、マリーアントワネットに贈られたディナーセットなども、オーストリアにある博物館等で今も見ることができます。

しかしその繁栄も長くは続かず、19世紀に入るとハプスブルク家の衰退、また工業化に伴い磁器が安価に作られるようになったことから、ウィーン窯は再び経営難となり、閉鎖へと追い込まれることになります。1864年のことです。

ウィーン磁器工房アウガルテンとして復興を遂げる

閉鎖から60年が経過した1924年、現在のアウガルテン宮殿内に再び窯が誕生することになります。ウィーン磁器工房が「アウガルテン」となったのは、移転した場所の名前に由来しています。

https://www.augarten.com/ より参照

アウガルテンの最初のミッションは、ウィーン窯の技術を復興させることでした。しかしそれは大変な作業であったといいます。

ウィーン窯時代の作品の多くは戦争によって奪われてしまい、残された資料が少なかったことがその理由の一つでした。

しかし現在、「マリアテレジア」「プリンツオイゲン」「ビーダーマイヤー」など、多くの作品が現代によみがえっています。

アウガルテンが愛される理由

ウィーン時期工房アウガルテン。マイセンやウェッジウッドなどに比べれば知名度は高いとは言えませんが、それでも一度その魅力に引き込まれると、長年コレクターとなる方が多いのもこのブランドの特徴といえます。

その理由は、確かな技術によって作られていること、他のブランドとは異なる繊細さがあることがあげられるでしょう。

その1つがウィンナーローズです。

ウィンナーローズは1924年以降に誕生した新しいデザインですが、その繊細なデザインに魅了される女性は多く、アウガルテンの代名詞の1つとなっています。

飽きの来ないデザインでありながら、日本人にも受け入れられやすい可愛らしいデザイン、地味すぎず、かつ派手でもない。また写真にも映えるということから人気です。

ウィーン芸術としてのアウガルテン

アウガルテンが他のブランドと大きく異なるのは、アウガルテンがウィーン芸術の体現の担い手となっていることでしょう。

例えばホフマンメロンはウィーン芸術家であるヨーゼフホフマンがデザインしたことで有名です。

また近年の作品も特徴的な(前衛的な)作品が多く発表されています。

現代芸術を磁器で楽しむことができる。これもアウガルテンの魅力の1つといえます。

オーストリアを代表し、世界中から愛されるウィーン磁器工房アウガルテン。2018年に誕生300年となり、ますますこれからが楽しみな磁器ブランドといえるでしょう。