Herend ハンガリーから世界へ羽ばたくヘレンド

Herend Googleストリートビュー参照

ヘレンドが誕生したのは1826年。マイセン誕生から100年以上経過した頃であり、西洋磁器工房の中でも比較的歴史が浅いのは意外かもしれません。

ヘレンドを創ったのは、シュティングルという人物でした。彼は技術面で磁器製造に明るかったのですが、企業経営の面では苦境に陥ることとなります。この苦境に立たされたヘレンドを受け継いだのが、モールフィッシャーでした。

名窯の欠品補充に活路、高い技術力で世界に進出

モールフィッシャーの経営は当時の需要をとらえることにありました。当時すでに食器セットは代々受け継ぐべき資産でしたが、当然使えば摩耗したり割れてしまうもの。

ヘレンドは、貴族が割ってしまった食器を補充することに活路を見出しました。つまりコピー品の製造です。マイセンやセーブルでは、100年もの間に次々に新しいデザインが誕生しては廃版となっていきました。ヘレンドでは廃版となったデザインの補充を請け負う、ということを事業の柱として活動することで、厳しい財政状況を打開しようとしたのです。

こうしたコピー品は、現在の技術をもってしても、本物との判別は難しいほどに極めて忠実に再現されていると考えられており、ヘレンド製であることが判明している模倣品は数えるほどしか存在していないそうです。

ヴィクトリア女王をも魅了!万博での成功とシノワズリ

ハンガリーもまたウィーン窯と同様にハプスブルク家の統治下にありました。しかし時代の変遷とともにウィーン窯の勢いが失われていった頃、ハプスブルク家のオーダーもヘレンドへと変化することになります。この時それまで作らせていた「オールドローズ」のデザインをヘレンドが作成したものが、現代のロングセラー商品となっている「ウィーンのバラ」であるといわれています。

西洋陶磁器の技術の高さをアピールする場の一つであったのが万博です。1851年、ロンドンで行われた万博ではヘレンドも作品を提供していました。シノワズリと呼ばれる東洋趣味は、世界の流行の一つであったため、ヘレンドもまたこうした東洋趣味のデザインを製作していたのですが、中でも英国ヴィクトリア女王を魅了したといわれているのが、「ヴィクトリア」です。

牡丹の花と蝶をあしらったデザインに魅了された女王は、ウィンザー城での食器セットとして発注をかけます。こうした動きに各地の諸侯も相次ぎオーダーしたことにより、ヘレンドは世界的な窯へと発展を遂げることになっていきます。

現代に続くヘレンドの英国に由来したデザインは、ここからスタートしていると考えられます。歴史の流れと陶磁器がいかに密接に関わっているのか、こうした史実からひも解くことができます。

破産と停止を乗り越え続く伝統

ヘレンドも他の窯のたどった道と同じように、経営難や戦火を免れることはできませんでした。しかしそのたびに多くの支援を受ける形で現在も伝統は続いています。

2017年、日本においてもヘレンド190周年を祝う展覧会が各地で催され、多くの愛好家が足を運びました。