Richard Ginori ジノリ伯爵が創ったイタリア最大の陶磁器ブランド リチャードジノリ

イタリアは古くからガラスや陶器製造で栄えた土地でした。ヴェネチアグラスは982年から栄えていましたし、ルネサンス期にはマヨリカ陶器が繁栄していました。

そうしたガラスや陶器が栄えたイタリアでも、硬質磁器の製造は大きな魅力だったのでしょう。

トスカーナ地方の侯爵であったカルロジノリは、領地内のドッチァに窯を作りました。1735年のことです。

硬質磁器の製造成功の裏にマイセンの職人の影あり

ジノリ侯爵が磁器工房を誕生させたのは1735年。マイセンが西洋で初めて硬質磁器を誕生させてから30年経過していたとはいえ、なぜジノリ侯爵は磁器製造に成功したのでしょうか。

その理由を探ると一人の職人に行きつきます。クリストフ・コンラート・フンガーです。彼はもともとマイセンでエナメル絵付け、金彩絵付けに特化した職人でした。

国家プロジェクトの磁器製造、厳しい監視の中でフンガーを連れ出すことに成功したのは、ジノリではなくウィーン窯でした。紆余曲折はあったものの、磁器製造に成功したウィーン窯でしたが、製造コストがかかりすぎたためフンガーに報酬を支払うことができなかったのです。

そうした理由からフンガーはウィーン窯を去り、その後各地を転々とします。その過程で訪れた一つがドッチァの窯でした。1735年のことです。

市民に親しまれるブランドへ

当初のジノリはメディチ家、ジノリ家を中心として、芸術作品に注力する窯業メーカーでしたが、1758年、カルロジノリ没後に経営を継いだ長男ロレンツォジノリの代から供給を拡大することになります。

1760年代に入ると、代表作イタリアンフルーツをはじめ、周辺貴族のための販売が始まり、より広く親しまれるようになっていきます。

1800年頃になると、貴族以外の層でも購入できる直営店が経営されるなど、市民に親しまれるブランドへと舵を切っていくことになります。ロンドン万博をはじめとして、高い技術力を示す機会にも恵まれ、よりその名声を高めていく半面、カルロジノリ没後の領土問題に端を発するトラブルが引き金となり、ミラノの陶芸家アウグストリチャードにドッチァ窯を売却。合併する形で存続した窯名こそ「リチャードジノリ」。我々の知るリチャードジノリはこうしてスタートしていたのです。

現代のリチャードジノリ

現代のリチャードジノリは多くのイタリア人デザイナーの支えによって新たなデザインを次々とリリースしています。

「伝統と革新」をテーマとして、モノグラムクラウンやフロレンティアなど新たなリチャードジノリが生まれています。

現在、リチャードジノリは、世界的アパレルブランドのグッチの傘下として、より魅力的な芸術を生み出すメーカーへと変貌を遂げています。